赤穂の歴史紹介

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花岳寺

禅の曹洞宗に属し本山は永平寺。赤穂藩祖浅野長直公によって正保2年に建立された寺であり元禄事変後は、永井家、森家歴代藩主の菩提寺となる。境内には、四十七義士の墓・宝物館・義士木像堂などもあり、赤穂義士ゆかりの史跡ともなっている。赤穂城の塩屋惣門を移築した山門は赤穂市指定文化財。新西国第31番、瀬戸内観音第7番の霊場である。


住所  678-0239 兵庫県赤穂市加里屋1992
電話番号 0791-42-2068
FAX 0791-45-2885
営業時間 9:00〜16:00
駐車場 自家用車、タクシーの駐車場は境内の奥にあります。
山門をくぐって中におすすみ下さい。
観光バス駐車場は息継ぎ井戸広場にございます。
(市営、無料、予約不要)



     


外観

花岳寺宝物館

浅野家、義士に関する宝物、経巻、書簡、絵画、刀剣、器具など百余点を陳列する。

花岳寺義士木像堂

浅野長矩公の位牌と大石家守り本尊・千手観音像を正面に祀り、右側に表門組と左側に裏門組の木像を安置する。いずれも義士33回忌から作り始められ100回忌に完成したものである。

花岳寺義士墓所

中央は主君・浅野内匠頭長矩公、右に大石内蔵助良雄、左に大石主税良金、周囲を右側から格式順に四十五士の墓が並び、遺髪がおさめられていると伝えられる。








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赤穂城跡

浅野長直の指示によって慶安元年(1648)から13年の歳月をかけて築かれた赤穂城は、近代城郭史上非常に珍しい変形輪郭式の海岸平城です。藩の家老で軍学師範の近藤正純が設計し、そのうち二之丸門虎口の縄張は、当時の著名な軍学者であった山鹿素行の手が加えられたと伝えられています。赤穂城跡は軍学に従って築かれた城であり、徳川幕府が始まって約50年後に築かれたにも関わらず、その構造は戦を強く意識しており、複雑に折れ曲がる石垣、角度を違える諸門に特長があります。城地は三方を山に囲まれ、東に千種川、南は瀬戸内海に面し、清水門の南にある舟入は船が出入りできるようになっています。  昭和46年に国史跡指定を受け、平成14年には本丸庭園と二之丸庭園が国の名勝に指定され、文化財の修復・復元はもちろん、都市公園としての整備も進むなど、赤穂市のシンボルにふさわしい城跡として蘇りつつあります。

●見学時間/(本丸)
    9時〜16時30分
●本丸を除き年中無休
●料金/無料

赤穂城跡の門です。

天守台からの景色です。

大池泉は昭和59(1984)年の発掘調査によって全容が明らかになり、浅野・森時代の姿に復元されています。

天守台から見渡せます。

建物跡を床高だけたかくして、コンクリート盤上に部屋の間仕切りだけを示し、板間・座敷間・土間・敷居・廊下・柱・縁などを表現し、坪庭跡には木陰をつくるために中高木を植栽してあります。

門も大きく再現されてます。

現在は櫓門の本丸門、厩口門、本丸御殿の基礎が復元されているだけですが、当時の御殿の間取りがわかりやすくなっています。

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赤穂大石神社

大正元年赤穂四十七義士並びに中折の烈士萱野三平を主祭神として赤穂城三の丸大石内蔵助、藤井叉左衛門両家老屋敷跡に鎮座。
その後浅野家三代の城主長直・長友・長矩の三侯、浅野家断絶後の城主森家の遠祖、本能寺の変で亡くなった森蘭丸等七代の武将を合祀している。
ご祭神大石内蔵助を始め四十七義士が1年10ヶ月の間苦労を重ねお殿様の仇を討ったことにより「大願成就」「心願成就」の神として全国の方々より崇敬を集めている。
現在の社殿を始め神域は平成14年の赤穂義士討入り満三百年に際しその記念事業としてすべて一新した。


住所 赤穂市上仮屋旧城内
参拝時間 午前8時〜午後5時
TEL 0791-42-2054
駐車場 乗用車100台(無料)

大石神社

義士宝物殿

大石内蔵助愛刀の備前長船清光・康光の大小刀を始め潮田叉之丞筆吉良邸絵図面など義士の書状や暇乞状を展示。
尚、この宝物殿は昭和51年神戸湊川神社から移転再建されたものである。

義士木像奉安殿

義士が切腹してから満250年目の昭和28年、山崎朝雲・平櫛田中を始め当時の超一流の木彫家が一人一体づつ、浅野長矩、萱野三平を含め49体の木像を収めている。

大石内蔵助邸庭園

瓢箪池を含む一帯の庭園は内蔵助、りく、主税を始め子女がそぞろ歩きをした池泉鑑賞式兼回遊式の江戸初期庭園である。
内蔵助愛好の牡丹など四季の花が咲いている。

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